★前回のお話はこちらから
ちょっぴりスピリチュアルな私の人生物語【新米保育士編】
今回はこちらのお話の続きになります。
安定期に卵巣の開腹手術、そして切迫早産の入院へ
結婚してすぐに、私の妊娠が発覚しました。
すぐにお腹にやって来たこの子は、向こうの世界で「まだ~!?」と足をばたつかせていたあの子だったのでしょうか?
妊娠が分かってからその後、片側の卵巣が腫れているということが分かりました。
妊娠初期にはそうなることはあるみたいで、その後小さくなって、おさまってくれれば大丈夫なんだそうです。
でももし大きいままだったら、手術で取った方がいいとのこと。
その場合、安定期に入ったら下半身麻酔でお腹を切って開ける手術をして、卵巣は残して腫れてる余計な部分だけ取るとのことでした。
へっ?
お腹に赤ちゃんがいる状態で、腹切るの?
怖っ!!
意識ある中でお腹切られるのも初めてだし、なんてったってお腹には赤ちゃんがいるんだよね?
でも人生でやらなくちゃいけないことは、やらなくちゃいけない。
ということで、安定期に入り、手術のため入院することになりました。
そしたらね、妊婦さんだけがいる大部屋に、なんと私と全くおんなじ手術をした人がいたんです!
後からお友達の助産師さんに言ったら、お腹に赤ちゃんがいる状態でお腹を開ける卵巣の手術する人なんて、そんなに多くはないみたいで、驚いていました。
それなのに、おんなじ大部屋に2人もたまたまいるなんて。
後から思えば、天の計らい、応援だったなって思いますね。
そのおんなじ状況で手術をした妊婦さんが、自分の体験をいろいろ教えてくれました。
「意識はあるので、途中で上半身が寒くなってきたりするから、看護師さんに聞かれたらちゃんと寒いですって言った方がいいですよ。」
「上にあるライトに、反射してお腹開けてる部分が赤く映って、ちょっとだけ見えちゃうから、見たくないならそっちは見ない方がいいですよ。」
そんな感じでいろいろ教えてくれました。
お腹開けてるところが見えちゃうなんて怖っ!
でも私の場合は、事前にいろいろ知ってて、イメージできた方が安心できましたね。
それに時間もそんなに長くはなくて、この目の前にいるママは、普通に乗り越えられたみたいだし。
私も頑張れそう!
そんな天からの応援もあって、卵巣の手術もなんとか乗り越えられました。
これが私の人生で2回目の開腹手術です。
そしてその後、お腹の傷がくっつくまで、全部で2週間入院したのちに退院しました。
でもそれからしばらくして、切迫早産(早産になりそうな状態)になって、安静生活に。
お腹が張らないように薬は飲んでいましたが、それでもダメでまた入院することになりました。
入院前にちゃんと、産後に必要な赤ちゃんの服とかを、買って準備しておきました。
前に、いつもお世話になってるスピリチュアルカウンセラーのカエデさんに、子どもは上から男の子、数年あいて女の子が続けて2人の、全部で3人って言われてました。
だから男でも女でも使えるように、基本的に衣類は黄色いのにしておきました。
そして準備を整えた上で、入院生活に入りました。
その入院した大部屋で、またあの私にいろいろ教えてくれた妊婦さんと再会!
安定期におんなじ手術をしてるから、出産予定日も近いんだけど、またもや同じようにお互い切迫早産になってて一緒に入院生活を送るなんて、なんだかとってもご縁を感じましたね。
私より若い人だったから、だんだん自分の妹みたいな感覚になってきました。
その妊婦さんの他にも大部屋にはたくさんいて、その都度入れ替わりはあるけど、多いときには6人の妊婦さんがいるお部屋でした。
切迫早産って、赤ちゃんがまだ十分に発達してない早い段階で、お腹に張りがあったり、下に下がってきて、生まれそうになってる状態です。
だから入院中は、早産を抑える点滴を常に腕につなぎながら、必要なこと以外は動かないでベッドの上で安静に寝ていなくちゃいけないんです。
トイレに行ったり、食事のトレイ下げたり、シャワー浴びたり、ちょっと売店に行ったり、そういう生活に必要なことはお腹の様子を見ながらできるけど、基本的にはベッドの上です。
私の入院生活は出産して退院するまで、それから結局3ヶ月弱ずっと続きました。
意外に思う人もいるかもしれませんが、私にとっては本当に楽しい毎日でしたね。
年の近い女子たちが集まってワイワイやって、お見舞いでもらったお菓子とかみんなで分け合ったり。
看護師さんとかと話すのも楽しかったし、なんか女子の合宿みたいな感じでした。
後から思えば、あれは完璧主義でガチガチの真面目人間だった私が、勝手に仕事でいつもストレスいっぱい抱えてて「妊娠中くらい、少しリラックスして楽しく過ごしなよ~」って言われてた気がします。
実際に入院しているときも「神様から人生のお休みいただいた~♪」って、いっつも思っていました。
それだけ、仕事でもプライベートな生活でも、いつでも無意識に頑張りすぎてる私だったんですよね。
妊婦さんたちと笑って過ごした楽しい入院生活が過ぎて、いよいよ出産のときがやって来ました。
私がお世話になった病院の場合、お腹を既に2回切ってるから自然分娩はできなくて、必然的に帝王切開だったんだけど、立ち会い出産ができました。
赤ちゃんを取り出して胸のところに乗せるカンガルーケアのところまで、旦那さんが隣にいてくれました。
赤ちゃんと一緒に、三人で写真も撮っていただきましたよ。
そうして生まれてきたのが、わがやの長男、ホオズキ君です!
無事に生まれて嬉しかったけど、私は過去に2回開腹手術をしているから、内臓がどうしても癒着してくっついてるらしく、手術では赤ちゃんが出てきた後の癒着はがしの作業に、結構時間がかかりました。
麻酔が効いているから痛みはないんだけど、引っ張られる感覚は分かるし、ジョキジョキ切ってる感覚も分かります。
これがなんとも言いがたい、不快な感覚なんです!涙
しかも帝王切開の前に、午前中に昼寝しちゃってたから、目はらんらんと冴えてるし(ほんと昼寝しなきゃ良かった!)、本当に苦痛な長い時間でした。
看護師さんに「大丈夫?」と言って顔をのぞき込まれても、その当時の私は弱音を吐いたり、人に助けを求められない人間だったんです。
でも嘘でも決して「大丈夫です」と言える精神状態じゃなかったから、何も言えず看護師さんをただ見つめることしかできませんでした。
心理学を学んだ今あの当時を振り返ると、本当に生きづらい自分だったなぁと思います。
今の私だったら「大丈夫じゃないです!!」とか言って、なんだかんだ話し相手になってもらってるうちに、もっと楽に終わることができただろうなぁと思います。
そのときはひたすら耐えるしかなかったから、なんとか耐え抜いて無事に手術も終わりました。
産後すぐはお腹切ってて動けないから、赤ちゃんを預かっててもらえます。
でもある程度動けるようになると、お腹の傷をおさえながらも、自分で赤ちゃんのお世話をしなくちゃいけません。
傷はまだ痛いし、夜寝られなくて寝不足だったりするし、そんな中で助産師さんが「赤ちゃんですよ~♪」と笑顔で新生児ベッドを押してくるとね、本当に私の頭の中ではあの音楽が流れたんです。
スターウォーズの、ダースベイダーの音楽が!!
生まれたての新生児で本当にちっこいのに、眠ってる横顔のあの存在感ったらすごかった!!
私がまだ出産前に、既に出産したお母さんが、助産師さんが赤ちゃんを運んで来たのを見て「わー!いらな~い!」って言ってるのを見たことがあったんですよ。
その時の私はそれを見て「この人、生まれてきた赤ちゃんに対して、なんてひどいこと言うの!」って思ってました。
でも実際に我が身になってみたら、いらないとは思わないけど「ほんと少し休ませてくれ…。」と思いましたね。
あのお母さんの気持ちが分かりました。
でも弱音吐けない私だったから、当然「もう少し赤ちゃん預かっててください」とは言えなかったけど。
初めての産後で、体も精神的にもボロボロで、シャワー浴びるとき姿見の鏡の前で泣きましたよ。
顔はひどくむくんでるし、お腹のでかい傷には透明テープが貼ってあって、傷があらわになってるし。
疲れ切った散々な自分の姿を見て、一人で悲しくて泣きました。
もちろんそんなことも、誰にも言えなかったけど…。
そんなこんなで、なんとか産後の2週間の入院生活を終えて、赤ちゃんのホオズキ君と一緒に退院しました。
家に帰ってこれから始まる赤ちゃんとの生活、一体どんな毎日になるのかな?
完璧主義で真面目すぎる性格の私の子育ては、その後勝手に大変な泥沼に、一人でズブズブとはまっていくのでした…。
完璧主義で自己犠牲が強く真面目な私の大変な子育てが始まる
3ヶ月弱の長い入院生活から退院して、久しぶりに外に出た私。
なんてきれいな青空!
外ってほんと気持ちいい~♪
「刑務所から出て来る人って、きっとこういう気持ちなんだろうなぁ…」となんとなくそう思いました。
「フッ。やっとシャバに出てこられたぜっ!」
産後は私の実家に1ヶ月、いることになっていました。
産後、床上げするまでは大事にした方がいいって、よく言いますよね。
なるべく体を休めながら、赤ちゃんのお世話を頑張りました。
初めての母乳育児も、感覚が分からなくて最初は難しいですよね。
赤ちゃんも口がちっちゃいし、赤ちゃん自体まだ吸うことに慣れてないし。
でも実家だとご飯も作ってもらえるから、自分と赤ちゃんのことだけに集中できるのは、本当にありがたかったですね。
そうして1ヶ月が過ぎて、自宅に戻りました。
産後の新生児訪問で、助産師さんが自宅に訪問してくれたんですけど、そのときにチェック項目にチェックするのがあって、どうやら私はそれに引っかかってしまっていたようで…。
その後に、もう一回訪問を受けました。
確かに化粧もしないですっぴんだったし、怖がりだから「怖くなることがある」とかもそういう意味でマル付けたし、他にも何個かマルしたところがあって、産後鬱のチェックか何かに引っかかったみたいです。
自分では全く自覚なかったんですけどね。
「産後の子育てはみんなこんなものかな?」と思ってたけど、客観的に見たらちょっとヤバい状態だったのかもしれません。
最初の頃は家で赤ちゃんとゆっくり過ごすことが中心だったけど、そのうち実家に赤ちゃんを連れて行って私はお昼を食べて、午後になったら帰るというのが中心の生活になりました。
じいちゃんばあちゃんも、孫に会えるのが嬉しそうだし。
私もお昼ご飯をごちそうになって、昼寝して帰れるから、体的にも精神的にも楽だし。
母乳育児で夜間授乳もしてるから、常に寝不足みたいなものですからね。
あとね、実は私、過去世でも今の父親と、父と娘の同じ関係性だった過去世があるらしいんです。
それが分かったきっかけは、私がどうしても父に対しての嫌悪感が消えなくて、最初は思春期だから反抗期でそう感じてるんだと思ってたんですよ。
でも大人になって年を重ねていっても、その嫌悪感がどうしても消えなくて…。
それでこの理由は分かる人に聞かないと分からないなと思って、スピリチュアルカウンセラーのカエデさんに聞いて分かったことなんです。
私は過去世で、父に虐待されていた娘で、冬は凍り付くようにとっても寒い国なんだけど、外に裸足で出されたりとかしてて、酒のビンとかが飛んでくる感じだったみたいです。
それで大人になってからそんな父が嫌で家を出たらしいんですけど、自分の子どもが生まれてからも会いには行かなくて、父の亡くなったことを知って初めて実家に戻ったようなんです。
それでひどく後悔したんですって。
「なんでもっと早く帰ってあげなかったんだろう。孫の顔を見せてあげなかったんだろう…。」って。
だからそのつぐないの意味もあって、また今世で同じ関係性に生まれてきたみたいです。
なのでね、嫌悪感がどうしてもあってイヤで仕方ないのに、誕生日とか父の日とかクリスマスとかになると、なぜか家族で私だけがプレゼントをあげたりずっとしてきたんですよ。
それって無意識に、つぐないの気持ちからきてるんですって。
だからそのカルマは今世で終わりにしたいから、せっせせっせと毎日のように孫の顔を見せに連れて行きました。
それから、少し大きくなって初めて児童館に行ってみたとき、うちのホオズキ君が持ってるおもちゃを、他の子が急に奪ってホオズキ君が泣いたことがあったんですよ。
まぁ、こういう場面は、私は保育士をしてるから慣れっこなので「こうやっていろんなことを体験していくんだよね。初めてでびっくりしたね♪」と見ていられました。
私が働いていた保育所は、6ヶ月からのお子さんをお預かりしてましたが、一応6ヶ月以降の子どもと接することには慣れているので、そういう意味で子育てに対してあんまり心配はありませんでした。
しかーし!!
自分が我が子を育ててみてすっごく思ったのは、自分の子の子育てと、保育所での集団保育は全くの別物だということです!
もちろん保育士の知識で役立つところはたくさんあるから、本当に助かるんだけど、それだけじゃないところが多い!
一言じゃ言えないんだけど、どんなにクラスを素晴らしくまとめあげる、すごい保育士さんだったとしても、じゃあ家で素晴らしい子育てしてるかというと、それは全くの別物だと思うんです。
子育てって、本当に自分の中のいろんな見たくない部分とかも、掘り返されますよね。
でもその経験を通して、子育てしてるお母さんは自分自身の在り方とか生き方を見直して、新しい自分で生き直すチャンスをもらってるんだなと思いました。
私の場合、めちゃくちゃ完璧主義で、真面目な性格なんですよ。
だから「子どもに害のあるものは絶対排除!」ってすごく神経使うし「母とはこうあるべき」という勝手な思い込みがガチガチにあって、勝手にそれに縛られて子育てしてました。
それってすごくストレス溜まりますよね。
でも、どんなに自分が大変でも「手伝って」「大変」「苦しい」そういうことを言えない人だったんですよ。
今ならこういうことを客観的に分析できてるけど、その頃は自分がそういう状態だってことすら気付いていませんでした。
だから、自分の中にストレスやいろんな感情を、溜め込んで溜め込んで溜め込んで…
そしていよいよダメになったら、大爆発する!
それを定期的に繰り返していました。
ほんと旦那さんから見たら、困った奥さんですよ!
いつも妻の顔色やご機嫌を伺ってなくちゃいけないですからね。
それって子どももおんなじで、私がイライラしたり大爆発起こしたら、必ずとばっちり受けますよね。
子どもの場合はさらに、それが性格とか人格形成にも大きく影響していっちゃいますから。
きっと「僕が悪いからなんだ…」とか思っちゃうよね。
そんな困ったお母さんでした。
無意識の自己犠牲精神もすごかったしね。
「子どもが絶対優先」「自分は我慢すべき」「私は母親なんだから」みたいな。
(ほんとは自分が我慢して、子どもを最優先にしなくたっていいんだよ~)
今思えば、いろいろずれてましたね。
そのうち親子で参加できる小さい子のイベントとか児童館の催しとか、積極的に参加するようになっていったんですけど、そのときも真面目で完璧主義だから、遅刻とかはしたくないんです。
だけど、小さい子連れてると、家出るときにうんちしてたり、なんだかんだ思い通りにはならなくて遅れるじゃないですか。
それで時間に間に合わなくて「私最悪だ…」って自己嫌悪。
そんなことの繰り返しでした。
勝手にイライラして、手荒に服を着替えさせて、それでホオズキ君が泣いちゃったりね。(それってよっぽどの手荒っぷりよ)
その後また自己嫌悪に陥って、これじゃダメだと玄関先でシャボン玉して気持ち切り替えようとして。
そのときの笑ってるホオズキ君の写真見ると「この直前に、私ひどいことしたんだよな…」って思い出して、今でもチクリと胸が痛みます。
子育てってさ~!ほんと大変よね!!
っていうかさ~、たぶんそんなに大変じゃないのよ。(どっち?)
日本みたいに核家族化してる子育て環境の中で、子どもの育て方も誰からも教えられず、急に始まる母と子の2人だけで日中いる子育て。
授乳の仕方も分からずうまくいかなくて、毎日寝不足になったり、乳腺炎になってガチガチに腫れたり。
1人目のママにとっての、そんな初めての分からないことだらけ、心配で不安なことだらけの子育てが、とてつもなく大変なんだよね!!
特に、当時の私みたいに、真面目で完璧主義で自己犠牲強いママは、本当に大変!!!
保育士でもそんな感じよ。
でもさ、それって絶対良くないよね。
私みたいなタイプの真面目で頑張り屋さんのママだって、日本人にはいっぱいいるでしょ?
そんな私の苦しかった1人目の子育て体験が、その後の私を1人の保育士として、強く突き動かしていくのでした。
日本社会は嘘だらけで毒まみれだという事実を知る
初めての子どもを授かってから、ある出来事がありました。
それは、妊娠している人が読む、育児雑誌を読んでいたときのことです。
産後に必要なものの、出産準備品のリストが書いてあるページでした。
そこにこう書いてあったんです。
「赤ちゃん用の洗剤を用意しましょう」
ん?なぜ?
理由は「赤ちゃんのお肌は、まだとってもデリケートだから」なんですって。
ん?それっておかしくない?
じゃあ、私たちがいつも使ってる洗濯洗剤って、デリケートな赤ちゃんの肌には使えないような、何か体に悪い物が入ってるわけ?
何気なく雑誌を見ていたときに、ふとわいてきた素朴な疑問。
それでいろいろ自分なりに調べてみました。
そしたら、毎日私たちが普通に使ってる洗濯洗剤には、体に悪い物がてんこ盛りに入ってた!
そうだったのぉー!?
こんなに体に悪い物、赤ちゃんだけじゃなくて、大人だって使っちゃだめでしょ!
それが私にとって、その後の価値観や生き方が変わっていく、一番最初のきっかけになった出来事でした。
その衝撃の事実に気付いてしまってからは、芋づる式に次々と世の中に対していろんな疑問がわいてきました。
そのたびに自分なりに納得するまで調べていくと、自分の中で、ある結論に至りました。
「日本の社会ってめちゃくちゃ毒まみれじゃーーん!!そしてその毒まみれを隠すために、社会全体が嘘で固められているーー!!様々な法律でさえもーー!!」
知ってました?日本って全然安全な国じゃないんですよ。
もちろん治安はいいかもしれないけど、世界でもトップクラスに危ない国ー!!
国民にバレないように巧妙に、生活の中で毒を盛られ、じわじわと健康を害され不妊やうつになったり、病気になるようにデザインされてる。
しかもそれは国家ぐるみでやってるから、法律さえもいくらでも操作される。
そのことに気付いてしまったんです。
もちろん今ほどの理解はなかったけど、おおよその仕組みや全体像が、この頃につかめました。
食品添加物、農薬、家畜に使われるホルモン剤や抗生物質、遺伝子組み換え食品、電磁波、水道水の塩素、化学物質、香りの害の香害、住宅の建築基準、医療の仕組み、ワクチン、学校教育、政治…。
私が最初の気付きを得たあの頃よりも、さらに今の日本の状況は悪化していますね。
国が認めて認可してるから、法律で定められた基準値以内だから、そういう考えで暮らしていると、いつか大事な家族の健康やられますよ。
2人に1人がガンになる時代ですから。
この世界には全てには原因があり、それによって結果を受け取る「原因と結果の法則」(因果の法則)があります。
2人に1人がガンになるのには、そうなる原因があるからです。
でもTVや新聞などの大手のメディアは、そういうことは一切報道しません。
なぜなら、大手メディアにとっては、お金を出してくれる主なスポンサーだったり、大人たちのドロドロした利権が絡んでるから。
だからといって、大事な我が子の健康、害されてもいいですか?
だけど、そういうことを知らないママたちが、あまりにも多すぎます。
今もあなたの大事な家族の健康を、じりじりとむしばんでるかもしれませんよ。
忙しい毎日の中で膨大な時間をかけて調べて、全てを知る必要はないけれど、日本の現状の基本的なところは理解している状態じゃないと危ないです。
自分の意識や、毎日のちょっとした工夫で、様々な毒を入れないように防げることはたくさんあります。
それを、特に子育てしているママたちには知ってほしいなぁ。
あの日の若かりし私よ、雑誌に書かれている些細な一文から、未来につながる大事なことに気付いてくれて、本当にありがとう。
自分なりに良いお産を体験できた第二子の出産
初めての長男の子育てに苦労する中、少しずつ育休の終わりが近付いてきました。
そんな中、育休中に第二子の妊娠が分かりました。
保育士の先輩方には「二人ほしいなら続けて生んだ方がいいよ」と言われてたし、私もそうなったら楽だろうなぁと思っていました。
そんな中で分かった、第二子の妊娠。
前にスピリチュアルカウンセラーのカエデさんに、私は上から男の子、数年あいて女の子が続けて2人の、3人子どもを生むと、独身の頃に言われていました。
だから次は女の子だ♪
長男のホオズキ君のときに、ちゃんと男でも女でも使えるように、衣類は黄色をメインに買っておいて良かった!
今度はホオズキ君の妊娠中みたいに、切迫早産にはならないといいなぁ。
そう思って、食品の買い出しも重い物を持つのは良くないと思ったので、食材宅配を毎週頼むことにしました。
(私が利用している宅配についてはこちら↓)
あいコープと生協の違いは?生協と間違えてあいコープに加入!?
家まで配達してくれるから、本当に助かる!
でも結局、やっぱり今回もお腹の張りがあって、薬を服用してたけど、それでもだんだんおさえが効かなくなってきて…。
旦那さんのお父さんが車で送迎してくれて、日中は旦那さんの実家で安静にしてたりもしてました。
お昼ご飯もごちそうになって、ホオズキ君の面倒もおじいちゃんとおばあちゃんが見ていてくれるので、私は2階で横になって、安静第一で過ごしていました。
だけどやっぱり今回も、まだ小さい長男のホオズキ君がいるのに、切迫早産で入院することになりました。
ほんと、切ない…。
入院前夜、ホオズキ君を残して入院してしまうのが悲しくて、寝かしつけのときに私、思わず「えーん!」と声を上げて泣いちゃったんです。
それを見たホオズキ君は、いつも寝るまで少し時間がかかるんだけど「えっ?えっ…?」と言ってママの泣き顔を見て戸惑いながら、そのまますぐに寝ちゃいました。
今思えば、ちゃんとホオズキ君にも、こういう理由で明日からママは病院に入院するよって、説明してあげれば良かったなって思います。
どんなに小さくて、まだ上手におしゃべりできない年齢だったとしても、ママが話す言葉はちゃんと分かって受け止めてくれますからね。
あの頃の私は、そういうこともまだよく分かっていなかったんです。
ホオズキ君、何も分からないまま、ママから突然離されちゃったよね。
そしてまた結局、切迫早産で入院しました。
ホオズキ君と旦那さんは、それから私が産後に退院するまでずっと、3ヶ月弱ほど旦那さんの実家で生活することになりました。
旦那さんは職場にはすごく近くなるし、ホオズキ君も日中は、主におばあちゃんが見ててくれるので助かります。
でも私が入院した、かかりつけの病院まではちょっと遠いので、私がホオズキ君と旦那さんに会えるのは、1週間に1日だけ。
その面会の日を、私はいつも心待ちにしていました。
ホオズキ君は1歳で、成長がすごく大きい時期です。
だから、会うたびに別人のように成長していくホオズキ君に対して、私の目が追いついていかないんですよ!
言葉がぐんぐん増えていったり、指折り数字を数えていたり「そんなこともできるようになったの!」って、驚いてばかりでした。
そんな貴重な時期に、こうして離れてしまってそばにいられないのが、本当に切なかったです。
お見舞いに来てくれた別れ際に、サッとバイバイしないと別れが辛くなると思って「じゃあね!」と、点滴カラカラ引いて、サッとエレベーターに乗ってドアを閉めたことがあったんですよ。
そしたら、ドアが閉まった瞬間に、まるで映画のワンシーンのように、ドアの向こうでホオズキ君の泣き声が聞こえて…。
私も悲しくて悲しくて、エレベーターの中で泣いて、涙が止まらないからそのまま点滴カラカラ引いて、トイレに直行。
私にとって初めてのホオズキ君の子育ては、ここまで大変なことも苦しいこともたくさんありました。
でもやっぱり、こうして一緒にいられないのは悲しいです。
今でも思い出すと、その時の感情がわいてきて、涙が出てくる…。
そんな長い入院生活でしたが、また前回の入院のときのように、大部屋でたくさんのママたちと仲良くなりました。
切ない思いは胸の中にいっぱいあったけど、入院生活自体はやっぱり楽しかったです。
2ヶ月くらい入院したところで、今回も予定帝王切開で出産しました。
前回のホオズキ君の出産のときに、手術中かなり苦しい思いをしたから、今回はその反省を大いに活かしました。
まず、手術の日の午前中は絶対に昼寝しないこと!!
これすごく大事!
そして、手術室で好きなCDをかけてもらえるということを、他のママに教えてもらいました。
だから旦那さんが前に聞いていたという、ゆずのアルバムをかけてもらうことにしました。
そして今回も、前回と同じく立ち合い出産ができました。
この時には私、赤ちゃんの最初の迎え方が、赤ちゃんの心の発達に大きく影響することを学んで知ってたんですよ。
だから、ホオズキ君の時とは違って「わがやへようこそ!これからよろしくね。ありがとう!」と、実際に言葉に出して、歓迎ムードを赤ちゃんにもしっかりと伝わるようにしました。
これ、後から思えばやっぱり、子どものその後の発達には大きく影響している気がしています。
そして、言葉をかけながら、胸に乗せてカンガルーケア。
その後は相変わらず今回も、ハサミでジョキジョキと、お腹の中の癒着はがしに時間がかかりました。
だけど、ゆずのアルバムをかけてもらっていたから、音楽聴いててそちらに意識が向いているので、前回の出産よりも結構時間が経つのが早く感じられました。
それに、午前中に昼寝をしなかったから、なんとなくウトウトして意識レベルを落とした感じでいられたんですよ。
意識がハッキリと覚醒してしまわないように、この心地よいウトウトを保てるように気をつけました。
そしたら、前回のような耐え難い苦痛に耐え続けるということもなく、比較的に楽な精神状態の中で終わることができました!
私的には、その後の長男と次男の二人の子育てを通して、この赤ちゃんの誕生のときの迎え方と、ママの精神状態は、子どもの性格や人格形成の根っこに、大きく影響してるのではないかと思っています。
バーストラウマみたいなところに、関わってくる気がしてるんですよね。
長男のホオズキ君は確かに慎重に育てて、長男気質に育ったのかもしれません。
だけど、ママの出産時の精神状態がとても大事ということは、胎内記憶の池川明先生が本とかでも書かれているし、心理学的に考えても十分にあることです。
とりあえず次男の出産は、こんな感じで私としては無事に、前回よりもだいぶ楽に終えることができました。
私にとっては、私なりの良いお産ができたのではないかと思っています。
こうして生まれてきたのが、我が家のアクティブボーイ、ダリア君です!
あれっ?
スピリチュアルカウンセラーのカエデさんのお話では、2人目は女の子の予定でしたよね?
でもしっかりと、元気でアクティブな男の子が生まれてきました。
「お空の上で、何か予定が変わったのかな?」と思って、それほど気にはしませんでしたけどね。
だけど数年たってから思ったのは、もし私が男の子と女の子1人ずつ生んでいたら、私のことだからきっと「仕事が忙しいから」「男女1人ずつ生めたし…」と何かと理由をつけて、3人目をあきらめそうだなと思ったんです。
それを回避するために、男の子がまた来てくれたのかな、そう思いました。
だけど実は、全く違う理由があることが、後から別のみえる方にみていただいて、分かったんです!
それはまた、おいおいお伝えしていきますね。
この次男坊のダリア君、のちにこの出産時の記憶や、お腹にいた頃の記憶を話してくれたんですよ~♪うふふふふ♡
3歳の次男が話してくれた胎内記憶や誕生時記憶の話
次男の子育ては、多くのママたちが同じだと思うんですけど、家の中に赤ちゃんとか小さい子どもが2人もいると、些細なことには構っていられないんですよ。
だからいろんなことを、いい意味で割り切ったり、あきらめなくちゃいけない。
それがまた複数の子どもの子育ての、とてつもなく重要で良い部分でもあると、今の私は思ってるんですけどね。
それまでの人生で、何十年と長い年月をかけて積み重ねてきた、無意識の思い込みや自分の枠を、ママたちは壊さざるを得なくなるんですよね。
私も2人の子どもの育児があったから、だいぶ自分の人生で足かせになってた、いらない思い込みや価値観を手放すことができました。
例えば、人に頼ったり手伝ってもらわないとやっていけないし、時間に遅れることだっていっぱいある。
完璧主義で神経質、真面目で几帳面では、どうしてもいられないんですよね。
だから一般的に、1人目の子育て中のお母さんと、2人以上いるお母さんとでは、子育てに向き合うおおらかさが違います。
「仕方ないじゃん。だってそもそも無理だし、できないし。笑」みたいな割り切りが、いい意味であります。
それに、そんなに完璧にやろうとしなくても、子どもは十分に育つことを、何となくでも経験で知っているので「まっ、いっか♪」が普通に言えるんです。
私もそんな感じで、次男ダリア君の子育ては、気持ち的には随分楽でしたね。
長男とは精神的な部分で全然違いました。
長男に対しては、今でもいろいろ当時のことを思い出すと「あの時はほんとごめんね…」と思って、胸の奥がチクリと痛くなりますよ。
だから、子どもは2人以上を育ててからが、本当の楽しさや喜びを味わえると、私は思っています。
子ども1人だけじゃ、ほんともったいない!
でも今は、子どもが欲しくてもなかなかできない人も増えてるから、こんなことを言うのもなんなんですけどね。
そんな私なりに、長男ホオズキ君の時よりは、少しずつ子育ての楽しさを感じながら育てられてきた次男ダリア君が、あるときこんな話をしたんです。
それは一般的に「胎内記憶」や「誕生時記憶」と言われるものでした。
それは3歳のある日、TVで出産に関する内容をやっていたので、話の流れでさりげなく「ママのお腹の中にいるときどうだった?お腹の中は何色だった?」とダリア君に聞いてみました。
すると「ピンク」と即答。
(いよいよ我が子も胎内記憶を話し始めたか!?)と高鳴る胸の鼓動をおさえつつ…
「あったかかった?寒かった?」と聞くと「あったかかった」と答えました。
さらに「お腹の中で何見えた?」と聞くと、ダリア君によれば「もも」が見えたのだそうです。
「桃!?」
でもすぐに思い当たることがありました。
私は妊娠中、子宮の中に子宮筋腫をいくつか持っていました。
子宮筋腫は良性のポリープのようなものなので、何も影響がなければそのまま様子を見ていて大丈夫なものです。
その時の筋腫は小さなものだったので、出産にも影響ないということでそのままでした。
ダリア君は私の子宮にある筋腫を見ていたんじゃないかな、そう思ったんです。
胎内記憶って、ただの記憶にしかすぎないので、子どもがその当時の記憶を思い出して、その時の言語力で言葉にするんです。
3歳のダリア君が子宮筋腫という言葉を知るはずもないし、その意味も知りません。
だとすれば、お腹の中にいる時に、いつも近くにあったピンクの丸い物を思い出して、それを3歳の言語力で表現すると「ももがあった」になりそうですよね。
あくまでも憶測なので、それが真実かどうかは証明できませんけど。
「お腹の中にいる時、何が楽しかった?嬉しかった?」と聞いてみました。
「ママが笑ってるとき楽しかった♡」とか「お腹の中でスイスイ泳いで楽しかった!」とか言うかな?と思っていました。
私は胎内記憶について、胎内記憶研究で有名な、産婦人科医の池川明先生の講演会に行ったり、自分なりに勉強していたので、知識だけは既にあったので。
だけど、予想とは違ってダリア君の答えは「パパとお兄ちゃんが来て嬉しかった」でした。
「ん?」
でもこれもすぐにピンときました。
前にもお話しましたが、私はダリア君を出産する時に、切迫早産で3ヶ月弱ほど入院していて、絶対安静の生活でした。
私は自分の実家の近くの産婦人科に入院していて、パパと長男のホオズキ君はその間、パパの実家で生活していました。
病院とは少し距離があったので、パパがホオズキ君を連れてお見舞いに来られるのは、パパの仕事が休みの日の、週に1回だけでした。
その家族で会える時間がとっても嬉しかったのは、私だけじゃなくて、お腹の中のダリア君も同じだったようですね。
ダリア君も長男ホオズキ君と同じで、帝王切開で生まれています。
「お腹から出てきた時、お医者さんは見えた?男だった?女だった?」と聞くと
「見えなかったよ。だって目をぎゅっとつぶってたもん。」
なるほど。
「じゃあ、目はつぶってて見えなかったけど、耳は聞こえた?」
「聞こえた」
なるほどね~、生まれたてでも聴覚は発達してますからね。
ダリア君、なんかそれっぽいことを次々と言ってるんですよ!
「生まれた時どうだった?どんな気持ちだった?」と聞いて見ました。
そしたら「ミルクをはさみでチョキンとされて、怖くて泣いた」って言ったんです。
ミルク?はさみ?
3歳の子の頭で考えたときにミルクって・・・。
もしかして、へその緒!?
お腹の中にいる時、お母さんからの栄養をへその緒からもらいますよね。
後から知ったのですが、胎内記憶を話す子って、へその緒のことをミルクとかおっぱいとか、そういう表現の仕方をするらしいです。
赤ちゃんが栄養をもらう=ミルク
それをはさみでチョキンとする=へその緒をはさみで切るだー!
まるで暗号のように、3歳の次男の言葉を解読しました。
「ミルクってへその緒のこと?」
「わかんないよー」とダリア君。
そうだね、まだへその緒って言葉、知らないよね。
「じゃあ、ミルクをチョキンと切った時、痛かった?」
「うん、ちょっと痛かった」
へその緒切るとちょっと痛いのかー!!
なるほど、なるほど~。
そんなダリア君の胎内記憶でした。
これが真実かを証明することなんてできないし、その2年後くらいには、そう話したことも忘れちゃったみたいです。
でも誰がなんと言おうと、かわいい我が子が話したそのことを、お母さん自身が胎内記憶だって思うならそれでいいと思うんです。
胎内記憶研究で有名な池川明先生も、いつもそうおっしゃっていますしね。
それが本当か嘘かということは関係ないんです。
「うちの子、お腹の中でこんなこと思ってたんだ!」「生まれた時こんなこと思いながら頑張って生まれてきてくれたんだ」そう思うだけで、我が子がとっても愛おしくて、幸せな気持ちになりませんか?
親子の絆が深まること、お母さんが幸せを感じながら子育てできること、それこそがとっても大事なんですよね。
【妊娠・出産編】はこれでおしまい!
次は【育休から復帰・立志編】です♪
↓
スピリチュアルな私の人生物語【育休から復帰・立志編】